「hikkaがお客さまを振りまわしたい」ディレクター松本 汐 インタビューvol.1

hikkaディレクターの松本 汐。彼女は「hikkaがお客さまを振りまわしたい」と語ります。そんなhikkaが誕生した背景について紐解きます。

ー さっそくですがhikkaを立ち上げた、きっかけについて教えてください。

松本汐(以下、松本):2017年、私が29歳のときにhikkaは誕生しました。突然と偶然が重なり合って、誕生したのがhikkaなんです。

ー 突然と偶然とは一体何があったのでしょう?

松本:その頃、東京の一部上場企業で社長秘書として働いていた私は希望していた職種に就くことができず退職し、実家が営む観光地のお土産などを販売する会社へ転職した頃でした。当時は東京エリアの観光地に対して営業などをしていました。そんなとき、東京ミッドタウンで開催されるお花のプロジェクションマッピングイベントのショップ立ち上げから運営といったオファーが会社に届いたんです。

ー そのオファーが転機になったんでしょうか?

松本:そうですね。2ヶ月間の期間限定イベントショップ立ち上げのために、花をつかった雑貨や作品などのバイイングをして、いざショップが立ち上がると、まだ子供が6ヶ月と小さかったこともあり、抱っこひもをつけて店頭で接客をしたりしていました。当時は、イベント自体が2ヶ月間の期間限定であったことと、近くに家族がいなくて、子供を抱えたまま仕事していました 笑 それも今では良い思い出です。

ー そのイベント後にhikkaを立ち上げられたんですか?

松本:そのイベントで見たのがハーバリウムでした。同じものが2つとない美しさ・みずみずしさ・透明感、そして花が持つ本来の美しさに感激しちゃったんです。だって、ドライフラワーやプリザーブドフラワーは、カサカサで透け感がないので。それで、自分でもつくって売ってみたいと思ったんです。

ー もともと、花は好きだったんですか?

松本:昔から花はすごく好きでした。いつも花柄や花モチーフばかり選んでいました。昔はガーベラなど色が綺麗で可愛い花が好きでした。でも年齢を重ねるごとに、飾らない生っぽさや自然のものだからこその造形美に惹かれるようになりました。それは、質感だったり、葉脈だったり形や動きだったり。例えば、ピンクッションやアンスリウムが好きですね。

ー それなら、花のお仕事をするというのは必然だったんですね?

松本:それが全然違うんです……もともと私、すぐに花を枯らしちゃうタイプなんです。だから、私は花を買ってはいけないと思っていました。

突然と偶然が重なり合って誕生したhikka。子育てしながらのブランド設立は、決して順風満帆なことばかりではなかったようです。

ー ブランド設立当初は色々と大変なことも多かったとか?

松本:すべてが手探りで、苦労ばかりでした。小売業もわからない状況でしたが、非常に嬉しいことに最初から全国展開する大型雑貨店との取引が決まったんです。でも、受注量が多く制作に追われると共に、資材の仕入れのほか、電話・メール・契約書などの業務に追われつづけていました。子育てもしていたため、徹夜の日々も珍しくはありませんでした 笑

ー そんななかで現在までしっかりとhikkaはつづいていますが、設立当初に思い描いた姿と今の姿は異なりますか?

松本:まったく違いますね……それはとても良い意味で。正直なところ、2,3年も経てばハーバリウムのブームは過ぎ去り、hikkaも忘れさられちゃうのかなと思っていました。だから、こんなにも求められつづけていることには感謝しかありません。特に、ブランド設立時からのお客さまやお取引先様には、言葉で表現しきれない気持ちがあります。

ー それでは、良い意味での誤算の要因は何だと思いますか?

松本:当時は、本当に自信がなくて……なんでhikkaを選んでくれるんだろうと思ってました。私は、これまでの人生もずっと自信がないタイプなんです。でも、バイヤーの皆さまからいわれるのは、ボトルを含めた全体のデザイン、使われている花の量や質が良く、他と見比べると圧倒的な違いがあるといっていただけるんです。また、すべてハンドメイドにも関わらず、3万本生産にも耐えられる体制を構築したのも大きな理由かと思います。

ー 3万本生産とはすごい量ですね。

松本:2021年の母の日に、3万本ハーバリウムの受注が入ったんです。これまでの生産体制では絶対に無理な状況だったんですが、先祖代々つづく商売人の血が騒いだというか、求められるからこそ、やらなきゃという気持ちになったんです。

ー それでも3万本を生産するというのは、大変なことだったのでは?

松本:これまで、工房で仲良く和気藹々と制作をしている環境でした。でも、このままではダメと思ったんです。もちろん、一緒に働くメンバーとの衝突もありましたが。それでも、「hikkaはこうあるべき」という思いを共有し合うことで、みんなの士気が上がりました。気づいたら、一緒に働くメンバーが50人の職人さんを採用していたり、桁違いの物量に対する物流も何とか乗り越えることができていました。このときブランドの規模が変わったなと思ったんです。もう、自信のない私や1,000本でビクビクしていたメンバーたちというのは過去のものになったんです。

ー 皆さんの意識を変えた「hikkaはこうあるべき」とはどんな内容だったんですか?

松本:そもそも、お取引先様へは感謝しているものの、受注を待つというスタンスやリクエストされたものばかりをつくるというスタイルでは個性が埋没してしまうと感じていました。私は、hikkaを「ハーバリウムでこんなことができるんだ」「お花なのにこんなものができるんだ」という感覚を提供したい、「hikkaがお客さまを振りまわしたい」と思っていました。また、一緒に働くメンバーたちが、楽しくキラキラと働きながら、仕事を誇りにして欲しかった。私自身、hikkaを立ち上げるまでは、仕事って辛いものだと思っていました。だからこそ、hikkaの仕事を始めてから楽しい、仕事って楽しくて良いんだという感覚を一緒に働くメンバーみんなで共有したかったんです。

最後にhikkaディレクターの松本は、そういった気持ちはお客さまに伝わるもの。だからこそ、hikkaを受け取った人には、作り手のキラキラした”良い気”を伝えたい。それを含めてhikkaという作品なんだと素敵な笑顔で語ってくれました。

そして最後に力強くいった「決して造花は使用しない」という言葉は、花を育てられない人にも花の力を、そして自信のない人には花が味方になってくれるというメッセージにも受け取れました。そして、そこには自信を持てなかった過去とは決別した彼女の姿が見られた気がします。